瀉血ごと散りゆく櫻ひとひらひら

 昨日から頭が重たい。なかに重油が溜まっていて傾けるたびにゆらりゆらりと酩酊にも似た感覚だ。その為午前中の入社式を終えたあとは家に帰ってなんとなく横になったり本を読んだりしていた。帰りがけにいくつかビデオを借りた。ルイ・マルの『鬼火』をまた観る。これについは近々文章を書きたいと思っている。
 日曜日はネットで本を注文した。Serge Nazarieffが蒐集した19世紀から20世紀の西洋におけるスパンキングの写真だけを選りすぐった『JEUX DE DAMES CRUELLES 1850-1960』、あとは今年一月にTACEHNから発売されたJan Saudekの画集等。また先日注文していた東京ミュウミュウのキャラクターソングスコレクターズボックスが届く。新品で2000円程度だったのでお得な買い物だが期待していたわりにどれも肩透かしを喰らってしまった。唯一、桃宮いちごの「Strawberry Power」だけが傑出した出来映え。作曲は荻野ヒデキ。検索するがまったくヒットせずに謎の人物である。本作品でもこの曲しか仕事していないので実に惜しいと思う。

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 暖かい陽気が居直ったように春の到来を告げていた。聞けば明日は雨模様でまた寒いとか。しかし麗らかな空気のなかで町行く人々は穏健そのものであった。
 近所に某学園の講堂がある。現在は主に式場として利用されており、休日にもなると花婿と花嫁を囲って多くの人々が賑わっているのだけど、今日も挙式が行われていたようで、ぼくが通りかかったときには、満開の桜のもと思い思いに写真を撮ったり談笑を交わすなどしていた。柵を隔てた通りには、見物客が足を止めて彼らの幸福にあやかろうとその様子を惚れ惚れと眺めている。カップルはひょっとしたら未来の光景に想いを馳せ、夫婦は在りし日の記憶を懐かしみ、老父母は継承される幸せに何度も頷く。子供はわけも分からず足元の散った桜を弄って遊んでいる。一人のぼくは自転車に乗ってゆっくりと通り過ぎる。
 同じ仕事に就くならば、このように幸福な空気をいつも新鮮に吸い込めるものが良いのだろうか。とは言っても気苦労は耐えないのだろうし、ウエディングプランナーの婚期が遅れるのは幸せ呆けするからだと聞く。ちなみに、ぼくの母はパートで葬儀場の介錯人めいた仕事をしているが、告別式後の会席でチップが貰えると大喜びだった。冠婚葬祭とはいえ時間軸で仕事の質はまったく異なる。ぼくは、どちらかと言えば母の仕事の方に惹かれる。

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 それから、仕事用にYシャツ一着とネクタイを買って、帰りに本屋でブルーノ・ムナーリ『ファンタジア』、鳴子ハナハルかみちゅ!』第二巻を購入した。