窓はいつも開けておけ、寒くなければ。

 本棚を買った。床に平積みしていた本は、すでに相当のスペースを占めていた。ぼくの部屋は縦長でクローゼットが多く、壁面の一部が迫り出しているから、家具を置くのにけっこう苦労する。そのためレイアウトを変更しなければならなかったのだが、どうせだからと思い切って部屋全体の掃除にあたることにした。
 まずは家具の配置を決定する。それから棚の本や洋服、雑多な小物を床に広げて、レイアウトを固める。少ない足場を上手く利用しながら、少しずつ物をしまっていく。ただしまうだけではなくて陳列の仕方にも気を使う。
 最大の問題はクローゼットだった。引っ越していらい四年間、とりあえずとりあえずと自分に言い聞かせながら押し込んだ結果、その内部は物的なゲシュタルト崩壊を、ピサの斜塔を形成していたのだ。ジェンガを思い出しながらおそるおそる物を救出していく。汗が吹き出る。舞い上がる埃にくしゃみを連発する。
 かくして、当初の絶望的なカタストロフィから次第に片付いていく部屋を眺めるのは悪い気分ではなかったし、埃を払い、物を整え、しかるべきカテゴリー分けをしていくことで、自分自身の内部もまた、部屋同様に風通しが良くなっていくのを感じていた。部屋はぼく自身の表象であったのだ。
 そして、ぼくは気がついた。ぼくの抱える問題が、部屋の景観にも反映されているのだ。寂しい壁面や、節操なく汚れるままに汚れた床。役に立たない机。まるで色気のない空間。なんとつまらない部屋なのだろうかと改めて気がつかされたのである。
 ぼくはもっと主張しなければならない。根拠は、ぼくがぼくに課した最低限のルールを守ること。生活をしっかり立てること。ぼくはぼくを裏切らない。ぼくはぼくに期待する。ぼくはぼくを誇れる。好きになれる。そうすれば、他人の姿だって見えてくると思う。本当の出会いの意味が分かるまで!
 そして、整理整頓もそこそこに、壁面にポスターを貼ったり、レコードのジャケットなどを飾った。ぼくはこうして自分の嗜好を前景化した。自分自身との同期を図っていく部屋というのは、しかし硬直した自我の砦なんかじゃなくて、積極的に世界に飛び込んでいくための前線であるべきだろう。内部への退行から外部への飛翔に通じる処女地であって、逃避を許す場所ではないだろう。いつでも帰ってこられるけれど、いつでも飛び出すことだって出来るだろう。
 そんなわけで、部屋の掃除は完了していない。